やってきました第二弾。再開日程が発表され、先への希望が見えてきましたが、過去の振り返りは辞めません。
ちなみに全5回の予定ですが、推している選手が旅立つ度に記事が増えていく仕様となっております。すなわち半永久的に続くシリーズです。
記事が増えると嬉しいのか悲しいのかわからないですが頑張ります。
というわけで今回は 小泉 慶 について語ります。
Vol.2 小泉 慶
「どうも、本田圭佑です。」
入団会見で開口一番にこれ言うルーキーいます??
これが小泉慶という男です。
2014年に流通経済大柏高から加入。すぐさまヤンツーの寵愛を受け、スーパーボランチレオシルバをそばで見ながらすくすく成長。川又堅碁にも気に入られ、立派な若頭戦力として若いながらもチームを支えることとなりました。
彼に魅入られた日のことは鮮明に覚えています。ナビスコカップ(当時)のホーム名古屋戦。2-0から逆転され、こんな負け方するのかよ…と嘆き諦めかけていた終了間際。
中央でボールを受けた背番号25は味方にボールを預けると迷いなく突進。名古屋の守備網がぱっかりと割れ、ゴールに導かれるように彼が走り込み、ボールが舞い込む。そして左足を振り抜く…
まさに圧巻。プレーの豪快さに加え、高卒ルーキーが矢野貴章、闘莉王に挟まれながら楢崎の守るゴールを破る痛快さも相まって最高の気分でした。「我行くところに道できる」と言わんばかりの力強いプレーは、今でも脳内再生が余裕なほどに強烈に脳裏に叩き込まれました。入団会見で感じた通り、ヤツはとんでもないヤローでした。
思い切りの良い若人はサポーターの大好物ですから、人気が出るのも当然。運転免許の学科試験に何度も落ちたことをいじられ、ようやく取得した際にはアルビサポが祝福一色に染まるほど。不器用ながらも我武者羅に進もうとする彼は、師匠同様サポに愛される存在となっていきました。
ルーキーイヤーから26試合に出場するも、レオ シルバ、小林裕紀という力のあるボランチがいたこともあってSBやSHでの起用も多かった慶。ハードワーカーゆえに便利屋的に使われがちではありましたが、僕はあの中央をダイナミックに駆け上がる姿こそがストロングポイントだと信じてやまなかったがゆえに歯がゆさも感じていました。レオの離脱をきっかけにボランチに定着しつつあった2015年夏には骨折で早々にシーズン終了…
2016年春にはリオ五輪を控えたU-23代表の遠征に追加召集され、初の日の丸を背負うことに。右SBで20分のプレーに留まり、本戦のメンバーにも選ばれませんでしたが、生え抜きが、新潟でグンと成長した選手がその場に呼ばれるまでに成長したことが本当に嬉しかった。
とはいえチームとともに苦しいシーズンだったのは事実。SBでのプレーに自信を深めている印象でしたが、SBとして多少セーフティーなプレーが求められるため、やはりもどかしさは拭えず。
プロ4年目の2017年。ずっとその背中を見てきたレオはチームを去り、その背番号8を継ぐこととなりました。そして副主将にも任命され、ボランチの位置で文字通りチームの中心として支える立場に。本格的にレオの後継者になるべく本人は意気込んでいたでしょうし、周囲の期待も高かったはず。僕自身、彼の背番号8のデザインのモバイルバッテリーを買い、活躍を楽しみにしていました。
しかし、ピッチ上でボールの落ち着きどころの定まらないチームは成績も安定せず。彼自身も力強いプレーはありましたが、活き活きとした姿は影を潜めたまま。序盤戦はボランチの相方が高卒ルーキーの輝綺だったこと、キャプテンの和成が負傷して以降はキャプテンマークを巻くようになったことなど、あまりに多くのものを背負わせてしまったように感じます。
呂比須監督が就任し、夏に磯村が加入すると右SBに。チームが変容する中で奮闘していましたが、またSBか…と思わずにはいられませんでした。ただでさえ重心低めのチームだというのに、それでは思い切りの良さを発揮できないじゃないか、と。チームの低調さも相まって見ている側も苦しい時期でした。
しかし、勝てない中で一つの転機が。ボトム2の直接対決となった第25節広島戦。72分のことでした。ゴールキックのこぼれを拾った慶はそのまま広島の陣形の隙間を突くように突破、SBとCBの間をぶち抜いてシュートまで放ったのです。
「帰ってきた」感覚でした。俺の惚れた慶はここにいました。
かつての勢いとらしさに加え、キャプテンとして盛り立てようという気概も感じるプレー。ポジションなんて関係ない、小泉慶はこうでなくっちゃ。
この後、残留という細い糸を手繰り寄せるように踏ん張った新潟。その中で慶はアシストや得点を記録。プレーの迷いがなくなっていったように見え、久々にワクワクが戻ってきました。あのチームをもっと長く見たかったと誰もが思ったはず。
最終節では引退となるミスターアルビレックス、本間勲の出場時にキャプテンマークを渡す粋な演出に加え、試合終了直後には真っ先に背番号15に抱き着いた慶。しかし、その美しい光景を最後に、オレンジブルーのユニフォームを脱ぐことになりました。
16、17シーズンに奮闘してくれた選手に対して、何度「もっとチーム状況が良かったら…」と思ったことか。その筆頭が慶です。もちろん、選手達自身がその状況を生み出したことに間違いはないのですが、それでもたらればを言いたくなってしまいます。
特に慶については、もっと彼が頼れるような大きな背中が欲しかった。もっと思い切りプレーできるようなチームであって欲しかった。様々なものを背負い過ぎ、苦しさの漂う姿は見たくなかった。だからこそ、17年終盤にらしさが再び顔を出し始めたときの嬉しさはひとしおだった。
たぶん、18年もこのチームに残っていたらまた背負わせすぎたのだと思います。その意味では、ちょうどいい別れのタイミングだったのかもしれない。新潟で窮屈にプレーする姿を見続けるくらいなら、どこかで溌剌と「らしい」プレーをしている方が良い。
小泉慶はそうでなくっちゃ。
思い出のシーン
思い出の最上位に入るのは先ほど紹介した2つのシーンです。ここでは他のシーンを紹介。
名古屋戦の初ゴールの2週間後。ナビスコ第3節甲府戦で、これまた終了間際にやってくれました。ボールを受けると相手ブロックに突っ込み、相手を引きつけて武蔵にパス。土壇場での勝利の立役者となりました。
鳥栖戦からはスーパーゴール2つ。まずは2015年2ndステージ第3節。テレビでも取り上げられたテクニカルなボレー。(試合映像が見つからずこちらで代用)
そして2017年第31節の延命ミドル。痺れました。
おわりに
柏に移籍後、J1では出場が多かったもののJ2では出番が激減し、いつの間にか個人昇格で鹿島に流れ着いた慶。師匠のレオに再会できて嬉しいことでしょう。今季の鹿島のスタイルにはハマりそうとの話もあるので、活躍の報が届くのを心待ちにしています。
いつかまた対戦してプレーが見られれば、と思っていたのですが、まさかのJリーグ再開前の練習試合で実現。2年半でメンバーはほとんど変わってしまったけれど、新潟には思い入れがあるとのコメントを見て嬉しくなりました。
この記事を書きながら改めて思ったこと。慶が落ち着いたプレーやバランスを取るプレーに終始するのは似合わない。彼にはピッチ中央を駆け回り、躍動する姿を、スパイクを脱ぐその時まで見せ続けて欲しい。そう願うばかりです。